トリクロロエチレンを食べる土壌微生物 (99-8-28 )
国立環境研究所 矢木修身


トリクロロエチレンによる土壌・地下水の汚染
 全国各地の土壌・地下水中からトリクロロエチレンやテトラクロロエチレン等の揮発性有機塩素化合物が検出され、これらが発癌性を有することから大きな問題となっている。1982年度に全国15都市の1,360の井戸について環境庁が実施した地下水汚染調査から、トリクロロエチレン、テトラクロロエチレン、1,1,1-トリクロロエタンのいずれかの物質で汚染された井戸が3本に1本存在し、飲料水の基準値0.03mg/lを超えたものが5%もあることが判明した。このため1989年3月にはトリクロロエチレン、テトラクロロエチレン、1,1,1-トリクロロエタンの排水基準がそれぞれ0.3、0.1、3mg/lと決められ、さらに1992年12月には飲料水の基準としてトリクロロエチレン0.03mg/l、テトラクロロエチレン0.01mg/l、1,1,1-トリクロロエタン0.3mg/lが決められ、1997年3月には地下水の環境基準も作られた。しかし1996年度においても飲料水基準を超えていた井戸がトリクロロエチレンで0.1%、テトラクロロエチレンで0.2%見いだされ、これまでに基準を越えている井戸が1,000カ所以上も見出されている。しかし米国では汚染した場所が40万箇所以上も存在しており、世界的にも大きな問題となっている。トリクロロエチレンは脱脂洗浄剤として半導体産業等で多量に使用されており、またテトラクロロエチレンはドライクリーニングの溶剤として多量に使用されてきたが、これらの物質が揮発性であること、また焼却等の適切な処理がなされなかったことにより、汚染が生じてしまった。


左/left)メタン資化性菌(メティロシスティス,Methylocystis sp. M)
右/right)エタン資化性菌(ミコバクテリウム,Mycobacterium sp. TA27)

図1 トリクロロエチレン分解細菌の電子顕微鏡写真

 現在、トリクロロエチレンによる土壌・地下水汚染の浄化対策として、地下水の揚水・ばっ気法あるいは減圧下での土壌ガスの吸引除去法が広く活用されている。しかしこのような物理的処理方法は、高濃度の汚染に対しては有効であるが、1mg/l以下の低濃度になると浄化効率が低下しコストが高くつくこと、また無害化処理技術でないため、微生物を活用する安価で省資源、省エネルギー的な浄化技術(バイオレメディエーション技術)の開発が期待されている。


トリクロロエチレンを分解する微生物
 トリクロロエチレン、塩化ビニルやPCB等の塩素を含む化合物は微生物によって分解されにくく腐らないため、かっては大変素晴らしい物質であると考えられた。しかし最近では、微生物によって分解されないことが逆に、環境中に残り厄介な物とみなされている。ではトリクロロエチレンは微生物によって分解されないのだろうか。土壌は微生物の宝庫であり、一般に1gの土壌中には1億匹の微生物が住んでいる。そこでトリクロロエチレンを分解する微生物の検索が各国で精力的に開始され、次々とトリクロロエチレンを分解する微生物が見出されてきた。表1に好気的にトリクロロエチレンを分解する微生物を示した。トリクロロエチレンを唯一のエネルギー源として増殖できる微生物は見出されていないが、メタン、エタン、プロパン、トルエン、フェノール、アンモニア等をエネルギー源として増殖でき、同時にトリクロロエチレンを分解できる多くの微生物が見出されている。

 筆者らが土壌中より分離したトリクロロエチレンを分解できるメタン資化性(炭素源として利用し増殖できる)細菌メチロシスティス属M株、エタン資化性細菌ミコバクテリウム属TA27株の電子顕微鏡写真を図1に示した。


表1 好気性トリクロロエチレン分解細菌

 メタン資化性細菌はメタンと酸素を増殖に必要とするため、メタンが発生し酸素が存在する水田の表層土壌1g中に100万匹も生息する。メタン資化性細菌はトリクロロエチレンに限らずジクロロエチレン、クロロエタン等数百種の化学物質を分解することができ、地球の掃除屋さんと呼ぶことができる。一方フェノールを分解する微生物も1gの土壌中に千匹は生息している。土壌中には木材の主成分のリグニンが存在し、リグニンの主成分がフェノール骨格を有するためである。アンモニア酸化細菌も1gの土壌中に千匹は生息している。アンモニア肥料を散布(土壌1Kg当たり窒素換算で5mg)すると、1gの土壌中で100万匹にも増加する。微生物の生息数を増大させて浄化能を高める研究がなされている。最近では、フェノール、トルエン、メタンを資化する分解酵素遺伝子を導入した組換え微生物が作成され、分解能の向上化研究がなされている。ではトリクロロエチレンは分解されて何になるのであろうか。メタン資化性細菌M株のトリクロロエチレン分解代謝経路を図2

図2 M株によるトリクロロエチレンノ分解経路


に示すが、M株のメタンモノオキシゲナーゼによりトリクロロエチレンオキシドが生成され、この物質は不安定なため、蟻酸、グリオキシル酸、一酸化炭素、ジクロロ酢酸に自然に分解される。ついで前者の3物質は二酸化炭素にまで分解される。一方クロラールが生成され、トリクロロ酢酸、トリクロロエタノールが生成される経路も存在している。


土壌・地下水浄化を目的としたバイオレメディエーション技術の種類
 微生物機能を活用して汚染された環境を修復する技術を、バイオレメディエーション技術と呼ぶが、トリクロロエチレンで汚染された土壌・地下水の浄化を目的としたバイオレメディエーション技術は、微生物の活用法により2つに分類される。一つは、バイオスティミュレーション(Biostimulation)といわれ、現場に生息しているトリクロロエチレン分解微生物を増殖させて浄化活性を高める方法であり、汚染された土壌・地下水に窒素、リン等の無機栄養塩類、メタン、トルエン等の分解微生物のエネルギー源としての有機物、さらに空気や過酸化水素等を添加して浄化する技術である。もう一つはバイオオーグメンテーション(Bioaugmentation)と呼ばれ、汚染現場に浄化微生物が生息していない場合に、培養した浄化微生物を添加して浄化する技術である。

 バイオレメディエーション技術は、利用するプロセスにより、固体処理(Solid phase bioremediation)、スラリー処理(Slurry phase bioremediation)、原位置処理(In situ bioremediation)、バイオリアクター(Bioreactor)の4種に分類される。

 固体処理は、汚染土壌を一定の場所に集め、土壌への通気、撹拌、さらにリン、窒素等の栄養塩類や有機物を添加して処理する方法であり、表層土壌の油や塩素を含まない有機溶媒等の易分解性汚染物質の浄化に適している(図3)。


図3 固体処理

広い場所を必要とし、処理期間が長くなる欠点があるが、低コストのため米国では実用化されている。スラリー処理は、汚染土壌に水を加えスラリー状にし、これを反応槽に移して分解微生

物や栄養物質を添加し、撹拌混合処理する方法である。汚染物質が2,4-ジクロロフェノキシ酢酸やペンタクロロフェノールのように難分解性で、かつ高濃度である場合に適しており、米国では実用化されている(図4)。


図4

 
原位置処理は、汚染現場土壌中に栄養物質、酸素あるいは空気、場合によっては分解微生物を添加して土壌の分解能を向上させる方法であり、土壌の掘削が不要で、建物が立っている地下土壌の修復も可能である(図5)。


図5

またバイオリアクター(温度がコントロールされた反応装置)は、地下水を揚水し地上で処理することができるため、汚染された地下水、排水及び排ガスの処理に適している。

バイオレメディエーション技術の開発
 筆者らは、35mg/lのトリクロロエチレンを分解できるメタン資化性細菌メチロシスティス属M株(Methylocystis sp. M株)を土壌中より分離し、トリクロロエチレンの分解特性、分解酵素であるメタンモノオキシゲナーゼの諸性質について検討し、浄化能の高い微生物であることが確認できたので、土壌・地下水中における浄化能を検討した。500ml容円筒状ガラス容器に土壌・地下水を充填した後、トリクロロエチレンを添加して汚染モデル系を作成した。これにM株を107匹/mlになるよう添加し、20℃でトリクロロエチレンの分解を調べた(図6)。


図6

トリクロロエチレン濃度が0.2mg/lでは1日で95%以上が分解され、1、10、20mg/lでは、それぞれ90%、50%、30%以上が分解された。M株はトリクロロエチレン汚染土壌の浄化に大変有効であることが判明した。

 さらにトリクロロエチレンで汚染された地下水中に、空気およびメタンガスを注入し、汚染地下水中に生息しているメタン資化性細菌を増殖・活性化させて、浄化する現場実証試験が、バイオレメディエーションコンソーシアム(研究開発共同体)と環境庁との共同で実施された。汚染場所は、工場敷地内の地表から14〜23mの第一帯水層上部で、5〜7mg/lのトリクロロエチレンで汚染されていた。現場では、地下水の浄化を目的として揚水井戸が設置され、1日に100トンの汚染地下水が揚水・ばっ気処理された後に放流されている。この放流水50トンに、酸素20mg/l、メタン10mg/l、さらに窒素とリンを添加し、上流側の注入井戸1〜3から1カ月間注入し、その後注入を停止した(図7)。


図7

注入井戸から3.5m下流の観測井戸1及び7m下流の観測井戸2より地下水を採水し、トリクロロエチレン濃度、メタン資化性菌数を測定した。


図8

図8は地下水中のトリクロロエチレン濃度を示すが、7mg/lあった地下水が注入停止後、40日以上経過してもトリクロロエチレン濃度は、飲料水基準の0.03mg/l以下であった。顕著なバイオレメディエーションの効果が確認されたのである。

図9

図9は地下水中のメタン資化性細菌数の変化を示したものである。注入井戸3はメタンを含んだ地下水を注入した井戸であり、メタン資化性細菌数が1ml中に101〜102存在していたが、10日後には105のレベルに増加した。3.5m離れた観測井戸1では14日後に、また7.5m離れた観測井戸2で25日後にメタン資化性細菌が著しく増大した。注入井戸3のメタン資化性細菌数が104程度になるとトリクロロエチレン分解能が低下した。我が国での初めての実験結果である。


今後の展望

 米国では、スーパーファンド基金を中心に、種々のバイオレメディエーション技術の開発と同時に評価が精力的になされている。油汚染の修復については多くの実用例があるがトリクロロエチレンやテトラクロロエチレン等に関しても多くの野外実証試験が行なわれている。最近では、バイオベンティングやバイオスパージングという新しい技術開発がさかんになされている。バイオベンティングは、水不飽和帯に空気を送ると同時にもう一方で空気を吸引し、土壌中の酸素濃度を高めたり、場合によってはリンや窒素を同時に添加し、微生物による分解速度を高める方法である(図10)。


図10

バイオスパージングは水飽和帯に空気を通気し、地下水中の酸素濃度を高め土壌中の微生物活性を高めるもので、不飽和帯に吸引井戸を併用することも多い(図11)。 


図11

 テトラクロロエチレンのように高塩素化合物は好気的分解が困難なことから、嫌気的微生物の脱ハロゲン化反応を利用して分解除去する技術が注目されているが、一方では、触媒反応で化学的に低塩素化合物に還元し、その後、好気的微生物で分解する物理化学的な手法と生物的技術を組み合わせた技術が実用化されている。バイオレメディエーション技術は、環境ホルモンのように低濃度広範囲な土壌汚染の浄化に最も適した技術と考えられ、従来その安全性の評価方法がなかったが、昨年5月に通産省から、本年の3月には環境庁からバイオレメディエーションの実用化に際してのガイドラインが示された。これによりバイオレメディエーション技術の活用が加速されるものと期待される。


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